二年後の自分。
まず今の仕事、町のビデオ屋さんとしてますますお客さんに喜ばれる映像製作者でありたい。
そして、イベントクリエイターとして現在関わっている業界の頂点を極めていたい。
何より少年時代からの夢であった映画監督としてデビューしたい。
僕は長い間、仕事で映像や舞台を作ってきていつも顧客のニーズを捉えることに腐心してきました。
そして個人的にはいつも結果を出してきたと思います。
しかるに映画製作という点については、そのニーズを捉えきれないもどかしさを感じています。
つまるところ自らを一映画ファンとし、その自分が観たいと思う映画。
つまらない映画を見た時、「オレならこう撮る」と憤慨した想いを物語に紡いでいく事しか面白い映画を作ることはできないのかも知れません。
さて個人的には芸術家気取りの傍若無人な監督の振る舞いは苦手です。
ローバジェットで映画が製作され、監督をはじめ誰もが少しずつのリスクと手弁当と情熱で作品を作り上げるていく共同体の一部なのだと、これまでの製作現場を通して実感しています。
僕は監督は演出という技能を売る職人だと思います。
そして映画は脚本、演出、撮影、音響、照明、編集、そして役者、そんな職人たちの生み出す第一義的には「商品」だと思います。
「商品」であるからには、お客さんを喜ばせ、出資者に配当を出さなければなりません。
監督が、自らの芸術的な存在感を世に示したいのであけば、それは採算分岐点の向こう側にしかないと思っています。
以上のような立場に立脚し、僕は二年後、まず商売として「映画」を成立させる「演出の職人」としての監督になっていたい、もしくはその過程で研鑽を続けていたいと思います。
面白い映画を作り続けることで監督作と言うだけでお客さんに足を運んでもらえるような監督を目指したい。
自主映画でなく、多くの人をまきこんで作られていく商業映画の監督なら、ブランド化の後にしか自らの芸術性の実験はできないのだから。
劇場作品を撮れる才能はそこらじゅうに埋もれていると思います。
しかし、劇場公開作の監督となる幸運は誰もが手に出来るものではありません。
幸運は自ら望む者にしか訪れない。
だから僕は一歩出て手を挙げます、「ハイッ」と。