10月16日(日)
11:00〜(135分)

かば

川本貴弘 監督

(第3回 審査員賞受賞)


▼予告編


▼あらすじ

1985年、夏。オレたちもセン公もアツかった。

1985年、大阪の公立中学校に実在した教師と生徒の物語。
心の底から向き合う彼らの青春を描いた、実話に基づく映画です。

阪神タイガースのリーグ制覇に沸く1985年の夏、被差別部落が隣接する西成区北部の中学校。
人々の差別と偏見、貧困など多くの問題を抱えた環境の中で、生徒たちは荒んだ学校生活を送っている。
蒲先生(43歳/山中アラタ)ら教師たちは手を焼いていた。
ある日、臨時教員として加藤 愛先生(23歳/折目真穂)が赴任してくるが、
初日から生徒に受け入れてもらえず自信を喪失。
先輩教師の蒲先生は「今、子どもらは加藤先生を試しとるんや、ただ教師と生徒の関係ではアカンねん」と、
得意の野球で生徒と向き合うことを勧める。
案の定、反発する野球部員は勝負に勝てばコーチとして認めると豪語するもあっさり敗北。
そのうち加藤先生はチャーコという愛称で呼ばれるようになる。
登校拒否になった転校生。家庭を顧みない母親、酒浸りで在日朝鮮人の父と暮らす女生徒。
出身地を恋人に告白することができない卒業生。服役中の父親に代わって家庭を支える野球部主将。
蒲先生ら教師たちは、それぞれの事情を抱えた生徒たちと正面から向き合い、
時には生徒の家庭へ強引に入り込んでまで、彼らの生き方を模索する。


▼キャスト

山中 アラタ
折目 真穂
近藤 里奈
木村 知貴
高見 こころ
牛丸 亮
石川 雄也
安永 稔
山本 香織
皷 美佳
浅雛 拓
髙橋 瑞佳
趙 博
島津 健太郎
白善 哲
徳城 慶太
染谷 有香
竹田 哲朗
川上 祐
西山 宗佑
田代 寿
秋吉 麻希
辻 登志夫
泉 希衣子
あかり れい子
森中 保
藤本 果月
辻 笙
さくら 若菜
松山 歩夢
冨士田 伸明
大橋 逸生
八松 海志
島田 愛梨珠
坪内 花菜
速瀬 愛
四方堂 亘
八尾 満
中山 千夏


▼作品概要/スタッフ

上映日時10月16日(日)
11:00
上映時間135分
制作総指揮・原作・
脚本・監督
川本貴弘
制作年2021

▼監督プロフィール

川本 貴弘

かわもと たかひろ

第3回インディーズムービー・フェスティバル
審査員賞受賞
『ドラゴン マーケット』
※監督名:沖 竜市にて

1973年9月14日 京都市伏見区生まれ

【バイオグラフィ】
映像制作を学びフリーのディレクターとして、吉本興業芸人(主に幼なじみであるブラックマヨネーズ 吉田 敬)の劇場用VTRやコントなどを制作する。
ブラックマヨネーズ 吉田 敬と共同制作した自主制作映画「ドラゴンマーケット」で初監督、第3回インディーズ・ムービー・フェスティバルで審査員特別賞を受賞。ロックバンド騒音寺のPVを手掛けるなど、関東で商業ディレクターとして活動した後、関西へ活動拠点を戻す。
2005年、映画「秋桜残香」でデビュー。
2012年には長編映画「傘の下」を公開、プロデューサー/監督を務めた。
西成に実在する中学校をモデルにした、現在制作中の「かば」は足掛け7年にわたっている。
2014年から2年間の取材活動ののち、制作中止の危機を迎えるなど紆余曲折を経るも、支援者の輪が広がり、2017年には趣旨に賛同したスタッフ、俳優が集まり、パイロット版が完成する。
前作「傘の下」同様、「人と人が向き合い理解する大切さ」を描くこの作品は、未来を変える力があると信じ、日本全国を周って上映会や講演を行なっている。 いよいよ2021年7月公開が決定した。【フィルモグラフィ】
97年 映画【ドラゴンマーケット】制作/監督/脚本(自主制作作品)
99年 映画【ぶっちぎりパラダイス】制作/監督/脚本(自主制作作品)
映画【皆殺しのバラード】制作/監督/脚本(自主制作作品)
騒音寺PV【裸の街】【下宿ハウスロック】監督(自主制作作品)
01年 騒音寺PV集【ビック・シット・カミン】監督(商業制作作品)
03年 映画【イメージの映画】監督/脚本(商業制作作品)
05年 映画【秋桜残香】監督(商業制作作品)
06年 映画【ハードレイン】制作/監督/脚本(自主制作作品)
08年 騒音寺PV【karasu on my shoulder】監督(商業制作作品)
11年 騒音寺PV【いい暮らし求ム】監督(商業制作作品)
騒音寺PV【大阪ジョンガラ考】監督(商業制作作品)
12年 映画【傘の下】制作/監督/脚本(自主制作作品)

川本貴弘監督

▼監督からのメッセージ

2010年5月、惜しまれつつ亡くなった中学教師がいた。
蒲 益男(かば ますお) 享年58歳。
彼の葬儀には教え子だけでなく、世代や職業を問わず300人を超える人々が参列し、皆、故人を偲び涙を流した。
彼はどこにでもいる普通の教師。
これほどまでに惜しまれるとは一体どのような人物だったのか?

蒲先生の教師としての原点である大阪、西成区の中学校で取材を進めたところ、
彼と1980年代を共に過ごした同僚教師と、卒業生から話を聞くことができました。
そこで目の当たりにした「人との距離感」に驚くと同時に、羨ましさに近いものを覚えました。
三十年以上も前のことをまるで昨日の出来事のように話す教師と生徒のあいだには、
「教育者と学び手」、「大人と子ども」を超越した「人として対等」な人間関係が
築かれているのがはっきりと分かったのです。

二年半をかけた取材を経て、当時の中学校でどのような学校生活が
送られていたのか、何度もぶつかっては理解し合った姿を知るにつれ、
現代を生きる人たちへの道しるべになるものが作れると確信しました。
映画に関わる人間だからこそ、その発信力を生かすことができる。
私はどんな困難があろうとも映画にしなければいけないと決心したのです。